播磨には播磨灘につながる河川がいくつも流れ、その中でも主要とされる5つの川は「播磨五川」と呼ばれ、個々に異なる歴史を紡いできました。それぞれにどんな特徴があるのか見てみましょう。
1,730平方キロメートルもの流域面積を誇る加古川は、兵庫県で最大の大河です。大小110もの支流を併せながら播磨平野を南流します。上流部では農林業、中流の都市部では播州そろばん、播州織、三木金物など特徴ある産業が生まれ、河口部は毛織物や製紙業が発達しました。現在は製鉄や化学、エネルギー関連企業が集積する工業地帯が広がっています。
兵庫県南西部を流れる市川。一説には、「播磨国府の市(飾磨の市)」からこう名付けられたと言われています。下流では姫路城付近を流れていましたが、江戸時代には藩主・池田輝政によって東側に大きく付け替えられました。
「日本三彦山」として名高い雪彦山を源に流れる、夢前川。歴史は古く、縄文・弥生・古墳時代などの遺跡も見つかっており、古来より人々がこの流域で暮らしていたことがわかります。流域には「西の比叡山」として知られる天台宗三大道場の一つである書寫山圓教寺や、英賀御堂跡などがあり、古くから信仰に寄り添ってきた川でもあります。
2万〜3万年前の旧石器時代には人々が住み着いたとされており、古くから流域の人々の暮らしや産業に恩恵を与えてきた揖保川は、まさに播磨を代表する川と言えるでしょう。流域では米や小麦、大豆などの穀物が栽培され、それらを活用した醤油や麹(こうじ)など産業を生み出しました。また鉄分の少ない水質はうすくち醤油や手延素麺の製造に最適で、独自の食文化の形成に大きく貢献しました。
千種川は「日本名水百選」に選ばれた河川の一つ。6世紀頃に渡来人集団としてやってきた、秦一族の一員・秦河勝が流域を開発したと伝わっており、河勝を祀る大避神社が30余社あります。上流域の宍栗市千種町は千草鉄の産地として知られ、現在もたたら製鉄所の跡が。さらに中流域の上郡町は赤松氏発祥の地として、下流域の赤穂市は赤穂義士のふるさととして全国でその名を知られています。