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2020.01.22 「播磨国風土記」が伝える物語


「播磨国風土記」が伝える物語のイメージ

約1300年前の記録から

日本で稲作が始まったのは、縄文から弥生時代にかけてと言われていますが、その後、いつどこで酒造りが始まったのかは、はっきりと分かっていません。そんななかで、約1300年前(奈良時代初期)に編纂された「播磨国風土記」(はりまのくにふどき)には、日本酒にまつわる記述がいくつか残っています。なかでも興味深い2つのストーリーを紹介します。

日本酒のふるさと、庭田神社

「大神の御乾飯(みかれひ・みかれい)が濡れてカビが生えたので、酒を醸(かも)させ、庭酒(にわき)として献上させ、酒宴をした」。「播磨国風土記」に書かれたこの一節は、播磨が日本酒発祥の地の有力候補とされる理由となりました。この一文が書かれているのは、「宍禾郡の庭音村(しさはのこおりにわとむら)」という項です。そのことから、兵庫県宍粟市一宮町能倉(よくら)にある「庭田神社」を、日本酒発祥の地とする説があります。

父親探しのために醸した酒

また「播磨国風土記」に残る父親探しの話にも、日本酒を醸すシーンがあります。「昔、多可町(たかちょう)に荒田(あらた)という場所がありました。女神・道主日女命(みちぬしひめのみこと)には、父親がいないのに子供がいらっしゃって、父親の神が誰か分からないので、見分けるために、水田をつくり、酒を醸造しました。男性の神様を集めて並べて、生まれた子供にその酒を捧げると、その子供が父親のところに酒を持って行って注ぎ、誰が父親かが判明しました」と、そんなストーリーです。

庭田神社の酵母菌で日本酒造り

「播磨国風土記」編纂1300年記念にあたる2013〜15年、「庭田神社=日本酒発祥の地」というを元に、兵庫県播州の4酒造組合による「はりま酒文化ツーリズム協議会」は、新たな日本酒を造りました。「庭酒」と名付けられ、各酒蔵ごとに造られたその酒は、庭田神社で採取した酵母菌や麹(こうじ)菌を使って醸造したというところがユニークなポイントです。酵母菌や麹菌は自然界の様々なところから採取できますが、その両方が神社で採取できるというのは、全国的にも珍しいといいます。

日本酒発祥の候補地は県外にも

日本酒発祥の地を主張するのは、播磨だけではありません。例えば、奈良県奈良市では正暦寺を「清酒発祥の地」としています。室町時代に書かれた『御酒之日記』(ごしゅのにっき)や『多聞院日記』(たもんいんにっき)などに、菩提山寺(正暦寺)での酒造りの記録が詳細に残っているからです。また、島根県出雲市も「古事記」に残る記述を根拠に「日本酒発祥の地」を名乗っています。「播磨国風土記」に書かれた記述は、播磨=日本酒発祥の地と決定づけるものではありませんが、少なくともかなり古くから、この地で日本酒造りが行われており、その文化が根付いていたことを表しています。

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