歴史の教科書に出てくる「租・庸・調(そ・よう・ちょう)」。 奈良時代から平安時代に施行された律令制度の税制で、お米や労働力、繊維製品や加工食品など、その土地の特産品などを納めるという内容でした。その頃の日本は、66ヶ国に分かれており、旧国単位で税を納めていたわけですが、それぞれの国が何を納めたかというのは、記録として残っており、当時の地域の特産品を知る重要な資料となっています。
この時代、播磨は何を納めていたのでしょうか? 『日本歴史大事典』の別巻に収録されている「日本古代諸国物産表」によると、播磨が納めていたものは例えばこんなものです。
【繊維製品等】両面、九点羅、一窠綾、二窠綾、三窠綾、小鸚鵡綾、薔薇綾、呉服綾、白絹、緋帛…etc. 【食器・容器・その他雑器類】池由加、中由加、みか、さらけ、小由加、酒壺、缶(もたい)、着乳瓫(ちつけるほとき)、洗盤…etc. 【穀物類】簀(す) 【食物・海産物等】塩、米、なるはじかみ、雑腊、煮塩年魚、鮨年魚、大豆、胡麻子、小豆、鹿角菜、青海苔…etc. 【その他】赤土(につち)、紙、薄紙、黒葛、胡麻油、油、鹿革、筆、墨、紙麻、掃墨、馬革、柏
今は使われていない名称のものが多いですが、塩やお米、大豆など、現在の播磨の醸造文化に通じるものや、魚などの水産物、絹、紙や筆など、様々な産物があることが見てとれます。その数はなんと、93品目もありました。
「93品目という数は、全国的に見るとかなり多いのではないか?」そんな仮説のもと、播磨学研究所長の中元孝迪氏が「日本古代諸国物産表」のデータをもとに、全国66ヶ国の品目別納入実績の数を、繊維品、食器・容器、穀物類、食物、その他に分けて集計しました。すると、対馬、壱岐などの小国は1〜5品目で、美濃や阿波、紀伊、筑前などでは60〜70品目と、国によって納める品目数にかなりバラつきがあることが分かりました。播磨の93品目は、全国ナンバーワンです。全国平均は約40品目となるので、播磨はその2倍以上の多様な産物を納めていたことが分かりました。
租・庸・調の品目数の多さからは、播磨国の人々の生活の豊かさ、経済力を感じとることができます。山、川、丘、平野、海といった変化に富んだ地形が、バラエティー豊かな産物を生み出していたのです。そして、その生産物は、産物の交易を促し、交通網を発達させていきました。現代に通じる「豊かな播磨」のベースは、奈良時代から平安時代にすでに形成されていたのです。